お金持ちになる事が全てではない
2021/08/16(月)
連続更新32日目です。
おはようございます。
今日は、なかなか難しいのですが、お金と人間に関して書いてみようと思います。
僕、結構お金が好きだと思っていたんです。
でも、昨日お金に関して少し考えていて、あんまりいらないのかなぁと思ったりしたので、分解して考えてみるのも大事だと改めて理解しました。
というのも僕の生活費って、ぶっちゃけ10万あればなんとかなるんです。
まず、親に3万ほど入れています。そこから昼ごはんですが、コンビニで198円のサラダを購入するのでそれが約25日で198×25=4950
朝は豆乳とグラノーラをいただくので仮に2週間で一袋開けるとしてひと月で1500円ほどでしょう。
夕飯はちょっと豪華に700円ぐらいバカ食するので、×30で7000くらいでしょうか。
車の費用が月に1万円ほどかかってしまいますが、これで5万ほどです。
すごくざっと計算したのでちょっと控えめな数字になっていますが10万あれば十分生活できる生活水準です。
ここで思うのは、そんなにお金って儲ける必要あるのだろうか?
といった疑問でした。
特に最近はお金の価値が減っていき、時間の方が価値が上がっていっているようです。
僕たちは寿命というものに向かって生きています。
文字通り、命を燃やして生きているわけです。
仕事というのは、その命をお金に変えているといっても過言ではありません。
ただ、お金というのは難しいもので、たくさん有ったとしても使い道がなければただの紙切れにしかなりません。
例えば、目の前に一億円があったとします。
その使い道は自由です。あなたなら何に使いますか?
という問いがあったとしましょう。
例えば僕であればフェラーリを買ったり、ガレージを買ったりするのでしょうが、こういう使い方をする人間のところにお金は入ってきません。
逆にお金持ちが一億を使おうとすればどんな使い方になるでしょうか?
あくまで、僕の勝手な想像ですが、例えばホリエモンであれば、ロケットの開発に全て使ってしまうかもしれません。
楽天の三木谷さんなら、楽天モバイルの電波塔を作るかもしれませんね。
これがお金持ちと貧乏人の差です。
お金持ちというものは、そのお金を困っている人のため、未来のために使ってしまえる人のところに集まるのです。
自分の消費のためだけにしか使おうとしない人の前にお金が転がってくるはずがないのです。
極端な話で言うと寄付金などがわかりやすい例です。
アフリカ等に井戸を作るので、募金をすると言う名目で街中に立っていると、少なからずお金は集まるでしょう。
これが、僕がフェラーリを買いたいので寄付金をお願いしますとかだったら、ほぼお金は集まらないでしょう。
お金ってそう言うものです。
社会に対して、「こう言う事がしたいんだ」と声を大にして発信し、それを実現しようとする人のもとにしか集まらないのです。
つまり、お金を集めようとすれば、それをどう使うかのビジョンを先に作っておかなくてはなりません。
皆さんであれば一億円をどう使うでしょうか?
まずはここから考えることが、お金持ちになる近道です。
これが思い浮かばないうちは、とにかく出費を減らしていらないものを捨てていきましょう。
特に朝、昼ごはんをなるべく減らす、もしくは食べない生活もいいですね。
修行中の僧侶みたいな生活になりますが、今まで当たり前だったものを捨ててみると、今まですごく恵まれていたことに気づきます。
そこで、今まで気づかなかった自分に本当に必要なことが見えてくるのです。
それは友達かもしれませんし、1人で過ごす時間かもせれません。
本当に人によって全然求めるものが違うと思います。
でもそれこそが人間らしさだと思います。
みんな違ってみんな良いという詩を書いた人もいらっしゃいますが、本当にそのとうりです。
皆さんも自分が命をかけて成し遂げたいものはなんなのか、今一度確かめてみると良いでしょう。
そうすれば、お金に縛られずに暮らす第一歩が歩めるようになるのではないでしょうか?